昭和20年(1945年)8月6日に広島、9日には長崎に原子爆弾が投下され、多くの犠牲者を出したことは日本人なら誰しもが知る事実です。
この原爆投下の前に、日本各地で「練習」が行われていたことはご存知でしょうか。
「パンプキン爆弾」と呼ばれ、長崎に投下された原爆に似せて作られた通常爆弾で、7月から8月にかけて50発も投下されていて、1600名以上の死傷者が出たそうです。
wikipediaに記事が載っています。
パンプキン爆弾 – Wikipedia
投下の目標とされたのは原爆投下候補地だった 京都市、 広島市、 新潟市、 小倉市の各都市を4つのエリアに分けた周辺都市(広島市ならば 宇部市、 新居浜市など、新潟市ならば 富山市、 長岡市など)にあった 軍需・民間の大規模 工場・ 鉄道操車場等であった。原爆投下候補都市は、原爆による威力を正確に観測するために、事前の空襲は禁止されていたために周辺都市が目標となった。 [要出典 ]1945年 7月20日、新潟エリアである富山市・長岡市・ 福島市 ・ 東京都(実例の一部として、現在の 練馬区大泉学園地区、 西東京市の 西武柳沢駅 近辺)へ計10発投下されたのを皮切りに18都道府県30都市に50発(うち1発は任務放棄し爆弾は海上投棄された)が7月20日〜8月14日に投下され 、全体で死者400名・負傷者1200名を超す被害が出た記録が残っている。
そして、三重県四日市市にも2発投下されていました。四日市市の教諭、早川さんの調査で、当時住んでいた人の証言から四日市市泊村であったことが分かりました。
その時の記事です。
「模擬原爆」着弾地を発見 地元教諭ら証言たどる 三重:朝日新聞デジタル
広島、長崎に原爆を投下する前後に「訓練」として米軍が投下した49発の模擬原爆。三重県四日市市の市立下野(しもの)小学校教諭、早川寛司さん(56)らが着弾地点の一つを突き止めた。1945年7月24日、同市泊村のため池の土手に落ち、2人が犠牲になっていた。 …
7月24日に四日市市泊村のため池の土手に着弾、爆発したそうです。
その後の調査で、その時の爆発に巻き込まれ、亡くなられた方が津市(旧美杉村)在住であったことが分かりました。
10月24日の朝日新聞の記事です。
四日市の模擬原爆、亡くなったとみられる2人の身元判明:朝日新聞デジタル
米軍が1945年7月、三重県四日市市に投下した模擬原爆について、市立下野(しもの)小学校教諭早川寛司(かんじ)さん(56)は着弾地点を突き止めたのに続き、爆発で亡くなったとみられる2人の身元を割り出…
71年も前のことで、調査はかなり苦労されたことと思います。当時のことを知る人も少なくなっており、重要な地域の歴史をどのように残していくかを考えなければなりませんね。
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